積年の想い馳せた地へ

飯田線 大嵐駅(おおぞれえき)です。

小じゃれた駅舎、駅ノートにこのブログの宣伝もバッチリです(ぉぃ

駅の西側道路を南へ下る道、これが旧飯田線跡です。
昭和30年11月、佐久間ダムの完成とともにここより豊橋方面3駅がダム湖底に沈みました。
しかし現在も冬の渇水期になると、その遺構が姿を現すといいます。
果たして今回、50年も前に眠りについたその遺構に立つことが出来るのでしょうか。

道沿いに、旧大嵐駅のホームが残っています。

立派な松、きっとこのホームが現役だった頃の記憶を宿していることでしょう。

さて道を南へ行くとすぐ短いトンネルがあります。
旧線のトンネルをそのまま道路に転用しています。

トンネル内から振り返る。先ほどのホーム跡が見えてますね。

架線を吊り下げていたと思われる金具が残っています。

これを通り抜けると、いよいよ本命、夏焼トンネルです。
全長1kmにもおよぶ長いトンネル、薄暗い蛍光灯が頼りの徒歩でわたるには薄気味悪いトンネルです。

トンネル脇にこれまた謎の坑口。現飯田線方面に向かって掘られているようですが試掘跡でしょうか支保もあるので気になるところです。

夏焼きトンネルから振り返る。某誌にもあったカットですね。

さあ恐怖感と闘いながら歩いてゆきます。出口は見えてるのか見えないのか・・

随所にある保線員用の退避窟がここが鉄道トンネルだったことを物語っています。

200mほど進んだところにある、某サイトでも言及されている謎の横穴。
地質調査のためのものか、保線用具の収納場所か・・・いずれにせよ結構奥がありそうです。

自分の足音にビビって立ち止まること数回、やっと出口に出ました。

トンネルを出た先はいきなりこれ、この方向に旧飯田線は走っていたはずです。

出口を左側に歩いていくといきなり通行止めです。

柵を超えて、歩き出します。振り返ると夏焼きトンネル出口付近が。
実はこの出口、佐久間ダム増水に備えてトンネル口をかさ上げしたそうで、飯田線当初のものとは違うそうです。
現在の石積みの辺りが当時の夏焼トンネル出口だったのでしょうか。

かつての県道はごらんのとおりの廃道状態。落石がゴロゴロしています。

やがて、大規模な崩落跡に突き当たり前進を阻まれます。
気合を入れて乗り越えます。右側面は崖。落ちたら死ぬか大怪我です。

無事乗り越え、歩いてゆくと・・・おお、橋脚の遺構らしきものが湖面傍に見えます!

少し歩いたこの場所より、天竜川湖畔への降下を試みます。
もちろん、安全靴にザイル装備でないと、かなりの確率でダム湖までまっさかさまです。

平坦な藪に見えますが、実は50度くらいの急斜面です。

佐久間ダム湖畔に散在する位置番号表の傍に、

ついに、旧飯田線の遺構(トンネル)が姿を現しました!

ほとんど堆積物に埋まってしまっていますが、近づいてみます。

トンネルの中は堆積物の土砂に埋没してしまいそうです。

先ほど夏焼トンネル手前で見たものとおなじ金具です。
とても50年以上前のものとは思えません。

トンネルを抜けると、先ほど見かけた橋脚が見えます。
ただただ感動、感無量の極みです。

半世紀も前、確かにここに鉄道は走っていたのです。


撮影場所はこんな感じ。一歩でも踏み外すとこれまた命が危険です。

さて、トンネルを戻り急峻な湖岸の崖へ。
岸壁一つ向こうにもトンネルがみえます。

おそらくこれが白神第一トンネルです。
この先が目指す目的地、白神駅なのですがご覧の通りの岸壁、これを越えるための装備は残念ながらありません。

涙を呑んで、ここで目的達成と相成りました。